2007年7月アーカイブ

我々の仕事のスタートは、まず本音を聴き出すことだ。
どんなに論理的且つ前向きな話であっても、建前を言っている限りは組織の変革には繋がらない。
しかし、本音が始まると時として組織の深い闇を見てしまうことがある。

先日、若手社員の話の中から、とんでもないパワハラの事実が出てきた。
あるメンバーが隠していた辛い日々をついに漏らしたのだ。
それは全く理解を超えた非人間的な上司の虐めであった。
聴いていて、その理不尽さに強い怒りを感じた。

実は、私自身のサラリーマン時代にも、今で言うパワハラ管理職がいた。
彼は自分の直接の上司ではなかったが、弱いものに対する執拗な仕打ちは尋常ではなかった。
驚くことに、相手が女性であっても「おまえ逆らうなら殴るぞ!」と声を荒げるような人間だが、なまじっか仕事の成果は出しているためにたちが悪かった。
一度、私の部下に対して暴言を吐いたため、一触即発になったこともあった。

そんな自分自身の体験も思い出しながら、その若手社員の話を聴いていた。
しかしその重苦しい雰囲気の中、別の若手社員がこんな発言をしたのだ。

「自分の部門のトップもとんでもない分からず屋です。でも、逃げていても仕方が無い。
自分は正面衝突して玉砕をしないために、まず仲間と問題意識を共有し、それを他の上司や他の部門を巻き込みながら、仕組みにも手をつけ、時間をかけて、戦略的に部門を変えていったんだ。
今ではその分からず屋のトップは、自分に意見を聴いてくるようになりましたよ。」

彼はさらっと話をしたが、何人もの先輩が辞めていった部署だけに裏側には大変な苦労があったには違いない。

私は、その彼の逞しさに心から感銘を受けた。
「社内政治」というとネガティブなイメージがあるかもしれないが、立場の弱い者が、自分の本当にやりたい職場にしたければ政治的・戦略的に動くことが必要だ。
それは泥臭いけどかっこいいことなんだ。
全国の「立場の弱い若手社員」の皆さん!政治力を使いましょう!


さて、
私自身のサラリーマン時代のパワハラ管理職はどうなったか。
前述のトラブルから日も浅いうちに、突如、彼は日の当たらない職場に左遷になってしまった。
「単なる会社でのポジションパワー」を自分の「人間としてのパワー」と勘違いするような人間は、待っていれば、結局は組織からスポイルされるということかもしれない。
組織とは、案外捨てたものじゃないのだ。

違いを知る事

先週、ヒューマンキャピタル2007というイベントに参加した。今の企業の人材に対する意識や、それを解決するソリューションについてのリサーチのためだ。

そこで、株式会社 イマジナの奥山社長のワークショップに参加し、非常に印象に残る言葉を聞いた。
奥山さんはアメリカのニューヨークで人事管理コンサルティング・サービスを手掛け、その経験を日本で展開されようとなさっている。日本企業が海外に展開していく際の障害を除いていくサポートで評価をされている。ワークショップで伺ったお話も、アメリカでの採用は今どうなっているか、という内容だった。

その中で印象に残ったのは、「グローバル化とは何か」という定義である。
非常にシンプルで、「グローバル化とは、違いを知り、認める事」である。
シンプルではあるが、そこから様々な事を感じさせられた。

日本が海外に出ていく時に戸惑うのは、生活の中での習慣や、仕事の進め方、取り組み方という「文化の違い」だ、という話を良く聞く。
その「違い」に接した時、往々にして、「どちらが合っているのか、どちらが間違っているのか」という悩みを抱えてしまう事が多いのではないか。
しかし、お互いが今迄の歴史や経験の中で培ってきたものが間違っている事は無い。
そこで、「違いを知り、認める」事が共に働いていく時には重要になってくる。

同じ様な出来事が、我々の企業に対するコンサルテーションの中でも起こっている。
企業の問題解決には、いくつものステップがあるが、一番核になるのが、「問題とは何か」を定義する事になる事が多い。
例えば、経営者・管理職は「決まった戦略を実行していく意識・スキルが無い事が問題だ」と言い、一般職・若年層は「戦略自体が決まっていない事が問題だ」と言う。
このような状況では、何をする事が問題解決になるのか分からない。

何故そのような問題の捉え方の差が産まれるのか。
それは、「何故それを問題と考えるのか」という背景が共有されていないからだ。
経営層は、会社全体の経営を見て問題を定義する。一般層は顧客と直接接した中での感じている問題を定義する。
どちらかが間違っている訳ではない。背景まで含めて話し合う時間を持てば、双方が納得する事が大半だ。

では何故そのような問題が起こってしまうのか。
それは、「自分が考えている事は、相手も考えているに違いない」という思い込みが働いているからではないか。特に日本人は同質的な集団の中で過ごす時間が長く、「一を聞いて十を知る」環境に慣れてしまっている。そして、企業においてはその環境が今迄の成功の源泉になっている。
しかし、これからの社会において、本当に価値を産み出していくのは、異質な考え方がぶつかり、双方が共感を得る新しい観点を築けた時だ。

自分自身も「違いは認めなくてはいけない」、と思ってはいるものの、ついその手間を惜しみ、「分からない相手が悪い」と責任転嫁してしまう事がある。何度も経験してはいるが、その違いを確認するためにヘトヘトになる事も多いからだ。

今回は、改めて「違いを知り、認める」事が、実は組織の成長・成果への近道だという事への確信を持つ事が出来た。その事を忘れずに精進していきたい。

連休に吹いた神風

この3連休は台風の接近もあり、関東ではかなり風が強く吹いていた。
そんな中、自宅周辺をあるいていると小学生くらいと思われる集団が「か?み?かぁ?ぜぇ?」と叫びながら、走り回っていた。時折吹く強風を「神風」と呼び込んでいるのだろう。

神風かぁと思いながらふと先日お会いしたある企業の担当者から聴いた話を思い出した。
「うちの役員・部長の多くは、ヒット商品が出れば今の経営状態から脱却できると思い、なかなか新たな一手を打たない。確かに過去にはそれで成功したが、神風を期待して日々の努力を怠ってはいけないと思うんですよ。どう思います?」


「はじめの一歩」というボクシング漫画をご存知であろうか?
この漫画の中であるボクサーがセコンドについた父親からこんな言葉をかけられるシーンがある。
「ボクシングに本当の意味でのラッキーパンチは無い。それは一見ラッキーパンチに見えるかもしれないが、そのパンチを打つために毎日サンドバックやミットを打ち込んできた結果なんだ」

そうなのだ、傍からみていると「運がいいな」「ラッキーだな」と思うことはいくらでもある。
我々のお手伝いしている企業でも、思わぬことから想像以上の成果を産み出し大きく飛躍する事がある。
しかし、それはラッキーなのではない。
日々の中でその風を受け止めるだけの体制を整えているから出来ることなのだ。
強い逆風が吹いても耐えることの出来る体制だからこそ、順風の風で大きく飛躍できるのだろう。

厳しい市場環境や激動する社会の中では次に何が起こるかわからない。
だからこそ日々の積み重ねは大切である。当たり前のことではあるが、思わぬところで改めて日々の行動を見直すいいきっかけをもらうことが出来た。
これはこの連休に吹いた私にとっての神風か?

ビジョンがない

ビジョンがない。

コンサルテーションとしてお手伝いをさせて頂く際に、「うちの会社にはビジョンがない」という問題を伺う事が多い。
ビジョンという言葉は色々な所で耳にし、自身でも良く使っているが、改めて辞書で意味を調べてみた。ウェブの辞書で検索すると、以下のような意味だそうだ。

ビジョン [vision]
(1)将来の見通し。構想。未来像。「福祉国家の―を示す」
(2)幻想。幻影。
(3)視覚。視野。

当然、「うちの会社のビジョン」が指しているのは、(1)の意味である。

しかし、将来の見通し、構想の無い企業・組織・個人は存在しないのではないか。
どんな企業であれ、経営理念や中期経営計画、事業計画といった将来の構想を持っている。

では、なぜ「ビジョンがない」という問題が出てきてしまうのか。
実はビジョンが無いのではなく、それぞれのビジョンの合致する点が見出せない事がその奧にある問題である。

企業・組織にとってのビジョン、すなわち経営理念や事業計画は、「誰にとっての」将来の構想なのか。
売上を上げ、利益を得て、企業を存続させていかなくては、その企業・組織に属する個人にとっての将来は無い。すなわち、その個人の将来の構想を実現する機会と密接に結び付いている。
しかし、その事実が、実感として経営層から現場一般社員まで一気通貫して共有出来ている組織は少ない。

どんなに精緻に組み立てられた事業計画でも、その達成と自分自身の将来の構想との結び付きが見出せなくては自分にとっての価値はない。
自分にとって価値が無いビジョンは、結局無いも同然である。
そこで「ビジョンがない」という問題が出てくる。

非常に根が深い問題のようだが、案外スムーズに解決する事も多い。
今「ビジョンがない」と感じている組織で自分が働いているのは、自分自身での選択と決断の結果だ。
その選択、決断の基準は何だったのか。自分はこの組織でどうなりたいと思っていたのか。
その企業・組織が自分自身の将来の構想の実現に合致しているからこそ、この組織に自分がいる。
その決断した想いを思い出し、言葉にし、同じ組織で働く仲間と共有する事で、「自分の将来の構想とは関係無い」と思っていた思い込みは消えていく。

コンサルテーションを進めていく中で、「ビジョンがない」と一番組織を糾弾していた方が、自分の想いを語り、仲間の想いを聴き、最後に経営陣の覚悟を聴く事で、観方を180度変えていった場面を何度も見てきた。

「ビジョンがない」事は問題ではない。
「ビジョンを語り、共有する場が無い」事こそが本当の問題なのだ。

諦めることをやめる

ザ・マスミサイルというバンドをご存知だろうか?
彼らの「今まで何度も」という曲のPVには部下からは仕事を押し付けられ、上司からは提案を厳しくつき返される会社員が出てくる。
自棄酒に逃げかけた彼だったが、最後のシーンでは、もう一度ビジネスバックを持って、胸を張って会社に向かいなおすのだ。漫画や映画のように、決して最後に逆転して成功するわけではない。しかし、「諦めることをやめる」という選択肢を選ぶ。

最近テレビでは某食品会社の不祥事の記者会見がよく流れている。
それを観ていて、「組織スキーム・役割スキームの怖さ」というのを実感した。事件のキーを握る管理職が、この期に及んでも「社長が悪い」と言い切ることができない。会社は消滅するかどうかの瀬戸際であり、その責任が自分1人に押し付けられる、そのギリギリの場面なのだ。その瞬間であっても、彼にはトップの問題を指摘することは出来なかった。
やがて、記者の執拗な追及を受けて、彼は沈黙の後に搾り出すように言った。
「社長は雲の上の人ですから・・・。」

我々は、ミドルマネジメント層のミーティングのお手伝いをすることも多い。
彼らは、最も「組織の枠組み」に縛られてしまっていることが多い。
ミーティングの中でも「自分はかくありたい」「組織はこうあってほしい」という純粋な想いと、「自分に出来ることなんかたかが知れている」「うちの会社って、こういうものだ」という諦めの気持ちが交差し葛藤する。

葛藤の中で諦めの気持ちが勝りそうな時に、よくさせていただく質問がある。
「自分の子供を、今のままのあなたの会社に入社させたいですか?」


コンプライアンスや内部統制などの問題の前に、個として「最小限守りたいプライド」を根底に置いた時、自ずと見えてくる組織の問題と言うものがある。
今まで何度か、そうしたプライドのために、リスクを張って立ち上がった管理職を見てきた。
「今のままじゃ自分が満足できない。」という強い感情に火がついたとき、周囲を巻き込み、改革の第一歩が始まる。
諦めることをやめた方々には、我々も心の底から全力で応援しサポートをしてしまう。

もしかしたら、そういう人に出会うために、この仕事をしているのかもしれない。