2007年11月アーカイブ

マイナスの学習

我々のお手伝いは、企業の問題を解決し、成長させる事だ。
企業の成長は、その企業を構成する個々の成長なくしては実現できない。

個々の成長とは何か。そこには色々な考え方があり、正解は無いと感じている。
その成長について、新たな発見となる面白い本に出会った。
オプティミストはなぜ成功するか(Martin E.P. Seligman 著、山村 宜子 訳)」という本だ。

著者である、Seligmanは、最近ではPositive Psychologyという分野で良く名を聞く人だ。
前半では、なぜSeligmanがなぜPositiveを追求しようと思ったのかが描かれており、面白かった。

研究の過程でSeligmanは大きな発見をする。
それは、「無力(無気力)は習得するものだ」という発見だ。

ある困難な状況に置かれた時、「その状況を自分で解決できる」と信じている人は解決策を求めた行動し続ける。一方で「この状況は変えられない」と思った人は行動しない、という選択をする。
この違いはどこからくるのか。
それは、研究の結果によると、「何度も行動して、状況を変えられなかった」という事を「学んだ」からである。

これは私にとって2つの点で気付きになった。
1.あきらめる、無気力になるという状態は自然に発生するものではない。
2.学ぶ事はプラスな事ばかりではない。マイナスになる事もありうる。

Seligmanはこの研究結果から希望を見出す。
「あきらめ」「無気力」は自然発生するものではない。だとすると解決する方法もあるはずだ。

我々の仕事を振り返ると、思い当たる点が多々ある。

度重なる業績目標の未達、それに伴うトップダウンによる組織変更。経営は、必死に考えて手を打っている。一方で現場は自分達の意志とは無関係に組織状況が変化し続け、最初あった緊張感も長くは持続せず、そのうちあきらめと無気力に支配されていく。
そのあきらめと無気力は、「自分達は組織に対して影響力は発揮できない。」という結論に至る。
このような組織になってしまうと、個人の成長も組織の成長も止まり、やがては悲劇的な結末を迎える。

しかし、Seligmanの言う通り、この状況は個人から変えていく事ができる。
「なぜそういったあきらめに至ってしまったのか」、その原点を聞いていくと、意外な事実が浮かびあがる。一人の視点では解決策が見つからなかった問題も、複数の立場や経験が違う人間が検討すると、あっという間に光明が見えてくる。

「今の自分の状況が変えられる。」その可能性を感じると、皆驚く程のパワーを発揮する。
何等周囲は変化していないのに、問題とその解決の可能性が見えただけで、自分一人で問題を解決してしまったという話もよく聞く。
そういった場面に同席し、自分自身もパワーをもらう事が多い。

あなたは、「あきらめ」や「無気力」に支配されていないだろうか。
それが当然だと思っている内は気付きにくいが、その状況は変えられるのだ。

Written by K

労働組合の意義

厚生労働省の資料を見ていたら、平成18年における単一労働組合員数は1,004万1千人で、
前年に比べて9万8千人減、12年連続の減少と書いてあった。
確かに、労働の形態が多様化し「誰もが学校を卒業したら同じ企業に正社員として勤め、定年まで働く」という常識が過去の遺物になった現在、労働組合の存在意義は揺れている。

白状すると私自身も昔サラリーマンをやっていた頃、労働組合というものには少なからず疑問を持っていた。
組合のある役員が、そのポジションパワーを勘違いして、横暴な振る舞いをしているのを目の当たりにしたからだ。
もちろんそれは彼の個人的な問題だとはわかっているが、昔のようにはベースアップも雇用確保も出来ない時代に、組合に何の必要性があるのか?と疑問に思ったことも確かだ。

ところが、
今、組織変革の仕事をしている中で、
あらためて「やはり労働組合の方は凄い!」と感じることがある。

ある会社では、我々の組織変革施策推進に対して会社側担当者が躊躇してたのだが、
組合委員長がリスクをはって実行への道筋をつけてくれた。
彼は会社担当者に対して次のように熱く語ってくれた。
「CCIのように、タスクもメンタルも二分化せずに“今・この場”でのプロセスを問うやり方は、確かに当事者としてはきついよ。でも、本当に会社を良くしたいのならその痛みに耐えようよ。」
また別の会社では、組織の本質的問題を究明する話し合いの中で、
いつまでも本音を隠し続けるメンバーに対して、女性の元組合役員が
「そんな話し合いで自分自身は満足できるの?」と明るく厳しく(笑)、突っ込みを入れ始めた。
それが発火点となり、徐々に討議全体が真剣モードになり、非常に実りのある話し合いになった。

労働組合の役員は、全くの奉仕で自分の時間を削って、従業員のことを考え行動している。
そして日本独特の「企業内組合」という制度により会社発展がなければ従業員の幸せも無い以上、同時に会社の経営を考えなければならないのだ。
つまり今流行の「ワーク・ライフ・バランス」というのをとっくの昔から追求している人材の集合体が労働組合である。
下手な経営層よりも組織開発と変革についても強い当事者意識を持っているのは当然である。

あらためて言いたい。
労働組合の皆さん、今こそ自信を持って、組織をより良く変革していくリーダーになって下さい。
イデオロギーのためでなく、従業員のためだけでなく、もちろん経営のためだけでもなく、
中から組織を変えていく原動力になることで労働合の存在があらためて求められています。

私達は応援します!

written by H

ビジョンの浸透

作ったばかりの方針や計画など、部下から見れば大した価値をもたない。そうした安易な方法よりももっと大切で価値あるもの、それはリーダーの習慣変化である。 リーダーが自らの方針や夢に賭けているのであれば、そのリーダー自身の行為や雰囲気に何か変化が起きる。部下が見ているのはそちらのほうの変化なのだ。そうしたベースの上に言葉や文字が重なったとき、活きた方針書になるのだ。

この文章は数年前から読んでいるメルマガ「がんばれ社長!今日のポイント」からの抜粋である。先日ある研修の中で、この言葉を強く実感したことがあった。

我々の仕事では10月11月とクライアントの階層別研修のお手伝いをする機会が多い。今年も秋の昇格にあわせた新任の管理職やリーダー研修をいくつか実施した。

プログラムの参加者の中でリーダーとしてビジョンが部下や後輩に伝わらずに困っているメンバーがいた。彼の話を聞いているとビジョンをわかりやすく言葉化し、丁寧に伝えているのがよくわかった。我々がお手伝いする際にはここまで整理することができずに困っているメンバーをサポートすることが多い。しかし、彼に関してはどうして周囲がそれに共鳴できないのかが不思議なくらいであった。

しばらく話を聞いているうちに職場での行動についてある傾向があることがわかった。他部門や上司との折衝のプロセスを部下や後輩たちに全く見せていないのだ。彼はリーダーとして、なるべく業務に集中できる環境を作ろうと考え、意図的にそういった面を見せないでいたのだ。

周囲からするとビジョンには共感できるのだが、リーダーである彼の変化が見えないままなのだ。そのために「言っていることはわかるけど・・・・」という状況に陥ってしまっていた。前述のメルマガにあるようなリーダー自身の変化が見えないのだ。

「自分がリーダーとなる前についていきたいと思ったことのあるリーダーってどんなリーダーでしたか?」彼に尋ねてみた。「??」という反応ではあったが、しばらくして彼は「一番印象的な先輩はその人自身が葛藤していることを隠さずに自分にオープンにしてくれていた。上司や関連部門とのやり取りもすべて伝えてくれていた」と返してくれた。

自分で答えながら気付いたのだろう、少し笑顔を見せながら「別に隠す必要はないのかもしれないですね。なんかそういった面を見せてしまうと頼りがいのない人に見えるのではないかと思っていましたがそんなことないですね。」と言った。

ビジョンを伝えることをスキルとして考える人も多い。確かに最低限はわかりやすく言葉化したりすることも必要だろう。しかし、本当に周囲に影響を与えていくためには言葉や数字ではなく行動で示すのが一番なのだ。
プログラム終了後、改めて最近の自分を振り返ってみた。プログラムにおいてメンバーから学ぶことも非常に多い。

written by F

当たり前の疑い方

先日、Webでの書評が気になったので、ダメな議論―論理思考で見抜くを購入して読んだ。

なぜ読もうと思ったのか。
書評の中にあった、

本を読んで学ぼうとする際に、本当に新しい事を学ぼうとして本を選んでいるのか。
実は自分の考えている事を確信に変えてくれる本を無意識に選んでいるのではないか。
しかしそれは本当の学びにならない。

という表現に魅かれたからだ。

「ダメな議論」は、「何となく納得してしまう間違った意見・議論を見抜くか」の方法について触れられた本だ。
その方法の詳細はここでは触れないが、改めて人(自分自身も含め)は「何となく」納得してしまっているか、に気が付かされた。

今の世の中には様々な意見や議論が満ち溢れている。
社会に対しての問題や、個人にとっての問題、組織内部の問題。
全て大事な事だが、それら全てを吟味しているだけの時間はない。
そうすると、自分にあった「何となく」正しい、という意見を受け入れてしまう。

ところが、それは危険なのだ。
「何となく正しい事」は「何となくの当たり前」を産み出す。
「何となくの当たり前」は「何となく」であるがゆえに否定しにくい。

「当たり前」は「何となく」であるからこそ変えていく事が難しいのだ。

我々のお手伝いもこの「何となくの当たり前」をいかに乗り越えるか、が肝になる事が多い。
解決しなくてはならない問題を深掘りしていくと、実は「当たり前」を否定できない事が一番の障害になっていく。

先日も「うちの組織はトップが一番の問題なんだ。」という問題提起をされた方がいた。
「トップ」というのははっきりしているようで抽象的な概念だ。
「トップ」とは誰なのか。直属の上司なのか、部門の長なのか、取締役なのか、社長なのか。
まずはそこを明確にする事から問題解決はスタートする。

話しあっていく内に問題は「社長にある」という事が明らかになった。
ところが、問題が明確になっても皆スッキリしない。解決出来る可能性を感じないからだ。

そこで初めて、否定すべき「当たり前」が見えてきた。
「「社長の問題」は自分達では解決できない」という思い込みだ。
問題は確かに社長かもしれない。しかしその問題に気付かせる事が出来るのは実は自分達しかいなかったのだ。
その事に気付けた事で、皆スッキリして、具体的な解決策の検討にとりかかる事が出来た。

問題の定義をきちんとする事が、解決に向けた第一歩になる。
「何となく正しい」、「何となく間違っている」という感覚は大切だが、それだけを信じてつき進むと袋小路に入ってしまう。
「何故それを問題だと感じるのか」、その当たり前を疑う事が、案外問題解決の近道になる。


非常に分かりやすく書かれており、また実生活の中で活用できる事も多いと感じる本だった。
機会があれば是非手に取って見て欲しい。

written by K