当たり前の疑い方

先日、Webでの書評が気になったので、ダメな議論―論理思考で見抜くを購入して読んだ。

なぜ読もうと思ったのか。
書評の中にあった、

本を読んで学ぼうとする際に、本当に新しい事を学ぼうとして本を選んでいるのか。
実は自分の考えている事を確信に変えてくれる本を無意識に選んでいるのではないか。
しかしそれは本当の学びにならない。

という表現に魅かれたからだ。

「ダメな議論」は、「何となく納得してしまう間違った意見・議論を見抜くか」の方法について触れられた本だ。
その方法の詳細はここでは触れないが、改めて人(自分自身も含め)は「何となく」納得してしまっているか、に気が付かされた。

今の世の中には様々な意見や議論が満ち溢れている。
社会に対しての問題や、個人にとっての問題、組織内部の問題。
全て大事な事だが、それら全てを吟味しているだけの時間はない。
そうすると、自分にあった「何となく」正しい、という意見を受け入れてしまう。

ところが、それは危険なのだ。
「何となく正しい事」は「何となくの当たり前」を産み出す。
「何となくの当たり前」は「何となく」であるがゆえに否定しにくい。

「当たり前」は「何となく」であるからこそ変えていく事が難しいのだ。

我々のお手伝いもこの「何となくの当たり前」をいかに乗り越えるか、が肝になる事が多い。
解決しなくてはならない問題を深掘りしていくと、実は「当たり前」を否定できない事が一番の障害になっていく。

先日も「うちの組織はトップが一番の問題なんだ。」という問題提起をされた方がいた。
「トップ」というのははっきりしているようで抽象的な概念だ。
「トップ」とは誰なのか。直属の上司なのか、部門の長なのか、取締役なのか、社長なのか。
まずはそこを明確にする事から問題解決はスタートする。

話しあっていく内に問題は「社長にある」という事が明らかになった。
ところが、問題が明確になっても皆スッキリしない。解決出来る可能性を感じないからだ。

そこで初めて、否定すべき「当たり前」が見えてきた。
「「社長の問題」は自分達では解決できない」という思い込みだ。
問題は確かに社長かもしれない。しかしその問題に気付かせる事が出来るのは実は自分達しかいなかったのだ。
その事に気付けた事で、皆スッキリして、具体的な解決策の検討にとりかかる事が出来た。

問題の定義をきちんとする事が、解決に向けた第一歩になる。
「何となく正しい」、「何となく間違っている」という感覚は大切だが、それだけを信じてつき進むと袋小路に入ってしまう。
「何故それを問題だと感じるのか」、その当たり前を疑う事が、案外問題解決の近道になる。


非常に分かりやすく書かれており、また実生活の中で活用できる事も多いと感じる本だった。
機会があれば是非手に取って見て欲しい。

written by K