ちょっと前のことになるが、福田首相が野党の追及に耐えていることをアピールするために、
「私はまさに『韓信の股くぐり』だ」とニュースでのインタビューに答えていた。
実は、この「韓信の股くぐり」というのは、私の大好きな言葉である。
ご存知の方も多いと思うが、韓信とは中国の秦末から漢の時代にかけて活躍した武将である。
彼は若い頃、町でゴロツキに囲まれ、
「お前は背が高いが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろよ。
それが出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。
韓信は黙って股をくぐり、周りからの嘲笑を受けた。
彼は「恥は一時、志は一生。自分が本当にやりたい大きな目的のためには、時には敢えて屈辱に絶えることが大事だ」
と冷静に判断していたのである。
この逸話を「韓信の股くぐり」という。
先日、ある社長が「営業マンって場数が大事っていうけど、場数踏んでもスキルになる人間とそうでない人間がいるよね。」という話を仰っていた。
では、その違いは何かというと、その場数の中でどれだけ「韓信の股くぐり」をしただろうという結論になった。
感情が伴なった体験こそが初めて経験になるということである。
確かに私自身も、現在良いお付き合いをさせていただいている企業においては、
営業の段階では「大きな志のためにの悔しい思い」を乗り越えてきている企業が多いことに気がついた。
どんな屈辱的な場面があったとしても、その向こうに変革を必要として頑張っている人が見える限り耐えられてしまうのだ。
このブログをお読みの方も、色々と悔しい思いをすることは多いだろう。
でもその時に、この韓信の逸話を思い出していただきたい。
大きな志を目標と置いた時に、今は敢えて股をくぐるという選択肢もあるということだ。
そして例え屈辱にまみれても、志を忘れずにさえいれば卑屈にはならないのだ。
自分の部屋に飾ってある、何年も前にとある書家から頂いた色紙にもこう書いてある。
「踏まれても根強く生きる雑草のやがて花咲く春の来るなり」
written by H
